
普段ならば、雨で出足が鈍ってしまうところだが、今年の梅雨時にはこのあたりの紫陽花の名所を訪ね、様々な紫陽花を撮り歩いてきた。有名どころでは、文京区の白山神社、松戸の本土寺、日野の高幡不動、北区の飛鳥山公園の名前が挙がるだろう。初めて訪れたところや、これまで繰り返し訪れて来たところもある。また、百花園や六義園など、紫陽花以外でしばしば訪れる都立庭園では、他ではあまり見かけない種類のいくつかの山紫陽花を目にすることができた。心残りと言えば、久し振りに訪ねたいと思っていた茂原のあじさい屋敷、南伊豆の下田公園、大多喜町の麻綿原高原には行けなかったことだが、これだけあちこち訪ね歩いていれば、シーズン中に行けないところがあっても不思議はないだろう。
そんなワケで「六月の写真は紫陽花から一枚」と、ごくごく自然に考えてしまったのだが、たくさん撮り歩いた写真の中から「この一枚」を選び出そうとすると、これがとても大変な作業になってしまうのだった。だんだん考えるのが面倒になってきて、このあたりで紫陽花と言えば、やっぱり鎌倉の紫陽花なわけで、鎌倉で紫陽花と言えば、この頃は長谷寺や成就院の紫陽花もずいぶん有名にはなっているけれども、「あじさい寺」と呼ばれる明月院をはずすわけにはいかないだろうなどと、できるだけシンプルに考えることにした。
この時期の鎌倉は平日でも人が多く、「花を愛でる」というよりは「人ごみに揉まれる」「長い列に並ぶ」といった具合で、その状況にムシムシした天気が追い打ちをかけ、まるで何かの罰ゲームのようになってしまうことが多い。ところが、今回訪れたのは平日の日中、ちょうど台風が近づいてきており、雨風がそれなりに強かったことが幸いしたのか、思っていたよりずっと人が少なかった。それでも「明月院といえば誰もが思い浮かべる絵」を撮ることができる場所には、途切れることなく人が溢れていて、どこかの旅行雑誌で見かけるような静謐な雰囲気とはほど遠い。構図も何もなく、何とか人が途切れた瞬間を見計らって数カット、F11まで絞って慌ててシャッターを切った。
そんな雑な撮り方になってしまった明月院の紫陽花であったが、帰宅して構図や色調を整えTwitterにあげたところ、飯能在住の詩人宮尾節子さんの目にとまり、「もういいよ」というタイトルの、素敵でちょっと怖い雰囲気の詩が重ねられて再投稿された。その詩が生まれることになったエピソードは、ボクが詩を読んで最初に想像したものとはだいぶ違っていたし、さらに言えば、ボクがこの写真を撮った時の現実の状況とも違っていたけれど、写真と言葉が出会って新たなイメージが生まれ、それが広がりを持ってゆくという経験は、とてもスリリングで面白かった。
そんなワケで「六月の写真は紫陽花から一枚」と、ごくごく自然に考えてしまったのだが、たくさん撮り歩いた写真の中から「この一枚」を選び出そうとすると、これがとても大変な作業になってしまうのだった。だんだん考えるのが面倒になってきて、このあたりで紫陽花と言えば、やっぱり鎌倉の紫陽花なわけで、鎌倉で紫陽花と言えば、この頃は長谷寺や成就院の紫陽花もずいぶん有名にはなっているけれども、「あじさい寺」と呼ばれる明月院をはずすわけにはいかないだろうなどと、できるだけシンプルに考えることにした。
この時期の鎌倉は平日でも人が多く、「花を愛でる」というよりは「人ごみに揉まれる」「長い列に並ぶ」といった具合で、その状況にムシムシした天気が追い打ちをかけ、まるで何かの罰ゲームのようになってしまうことが多い。ところが、今回訪れたのは平日の日中、ちょうど台風が近づいてきており、雨風がそれなりに強かったことが幸いしたのか、思っていたよりずっと人が少なかった。それでも「明月院といえば誰もが思い浮かべる絵」を撮ることができる場所には、途切れることなく人が溢れていて、どこかの旅行雑誌で見かけるような静謐な雰囲気とはほど遠い。構図も何もなく、何とか人が途切れた瞬間を見計らって数カット、F11まで絞って慌ててシャッターを切った。
そんな雑な撮り方になってしまった明月院の紫陽花であったが、帰宅して構図や色調を整えTwitterにあげたところ、飯能在住の詩人宮尾節子さんの目にとまり、「もういいよ」というタイトルの、素敵でちょっと怖い雰囲気の詩が重ねられて再投稿された。その詩が生まれることになったエピソードは、ボクが詩を読んで最初に想像したものとはだいぶ違っていたし、さらに言えば、ボクがこの写真を撮った時の現実の状況とも違っていたけれど、写真と言葉が出会って新たなイメージが生まれ、それが広がりを持ってゆくという経験は、とてもスリリングで面白かった。