
上野東照宮ぼたん苑の冬ぼたんとは、写真を撮り始めたごく初期の頃からの付き合いになる。
ウチのMacに保存してある最初の写真は1999年11月。カメラは当時のソニー製のパソコンVAIOについていたSmart Captureで、画素数は30万画素というスペックだった。その年の年末の旅行先ではこのカメラで写真を撮っていたのだが、開いたノートパソコンを目の前に掲げての撮影はあまりにも不便で、旅行先の伊豆の家電屋で富士フィルムの150万画素のコンパクトデジタルカメラ(FinePix1700Z)を衝動買いしてしまった。これがボクのカメラ事始め。
いやいや、もう少し時間を遡れば、学生の頃に親戚のおじさんから借りたニコンのフィルムカメラ(機種は何だったんだろう?)を使ってスナップを撮ってみたことはある。一眼レフでピント合わせシャッターを切るのはとても面白かったという記憶はあるが、どういうわけかーたぶん当時はフィルムの扱いとその現像が面倒だったのだろうー写真を続けることはなかったのだ。
さてさて、冬ぼたんである。デジカメを購入した翌年の2000年2月にはFinePixで撮った写真があるから、「花の写真を撮る」という、現在まで続くボクの写真の原型はすでにこの時期には始まっていたようだ。そんなわけで、この冬ぼたんは自分にとっては、とても思い入れのある大切な被写体だ。
毎年1月初めから2月下旬という花の少ない時期に咲く冬ぼたんの撮影は、向島に転居して、わりとご近所になってしまったことをきっかけに、初詣に次ぐ年中行事になった。「毎年のように撮影している」と自分では思っていたが、「実際はどうなのだろう?」と保存してある写真を見返してみたところ、なんと2010年を除く全ての年の冬に東照宮ぼたん苑を訪ねていることが判明して、自分でも驚いてしまった。
撮影を始めて20数年が過ぎ、機材も(たぶん撮影技術も)進歩して、撮れる写真もだいぶ変わってきた。主要被写体をどこに置いて、背景には何を取り込んで、どのくらいぼかして撮るかを考えたり、時間帯によって変わる光のあたり具合を計算に入れて撮るタイミングをずらしたりと、表現のための自由度は以前に比べて格段に上がった。が、好きな花を真ん中にどんと置いて、多少の影なんかは気にせず、もちろん背景なんかも気にしない初心者丸出しの写真も、20年の歳月を経て、その頃の記憶を思い起こさせる懐かしく素敵な写真に見えて来るから不思議なものだ。
ウチのMacに保存してある最初の写真は1999年11月。カメラは当時のソニー製のパソコンVAIOについていたSmart Captureで、画素数は30万画素というスペックだった。その年の年末の旅行先ではこのカメラで写真を撮っていたのだが、開いたノートパソコンを目の前に掲げての撮影はあまりにも不便で、旅行先の伊豆の家電屋で富士フィルムの150万画素のコンパクトデジタルカメラ(FinePix1700Z)を衝動買いしてしまった。これがボクのカメラ事始め。
いやいや、もう少し時間を遡れば、学生の頃に親戚のおじさんから借りたニコンのフィルムカメラ(機種は何だったんだろう?)を使ってスナップを撮ってみたことはある。一眼レフでピント合わせシャッターを切るのはとても面白かったという記憶はあるが、どういうわけかーたぶん当時はフィルムの扱いとその現像が面倒だったのだろうー写真を続けることはなかったのだ。
さてさて、冬ぼたんである。デジカメを購入した翌年の2000年2月にはFinePixで撮った写真があるから、「花の写真を撮る」という、現在まで続くボクの写真の原型はすでにこの時期には始まっていたようだ。そんなわけで、この冬ぼたんは自分にとっては、とても思い入れのある大切な被写体だ。
毎年1月初めから2月下旬という花の少ない時期に咲く冬ぼたんの撮影は、向島に転居して、わりとご近所になってしまったことをきっかけに、初詣に次ぐ年中行事になった。「毎年のように撮影している」と自分では思っていたが、「実際はどうなのだろう?」と保存してある写真を見返してみたところ、なんと2010年を除く全ての年の冬に東照宮ぼたん苑を訪ねていることが判明して、自分でも驚いてしまった。
撮影を始めて20数年が過ぎ、機材も(たぶん撮影技術も)進歩して、撮れる写真もだいぶ変わってきた。主要被写体をどこに置いて、背景には何を取り込んで、どのくらいぼかして撮るかを考えたり、時間帯によって変わる光のあたり具合を計算に入れて撮るタイミングをずらしたりと、表現のための自由度は以前に比べて格段に上がった。が、好きな花を真ん中にどんと置いて、多少の影なんかは気にせず、もちろん背景なんかも気にしない初心者丸出しの写真も、20年の歳月を経て、その頃の記憶を思い起こさせる懐かしく素敵な写真に見えて来るから不思議なものだ。