
今年は桜に限らず季節の進みがずいぶんはやかった。花に急かされるようにして、3月末の休日に隅田川沿いを桜散歩。好天に恵まれ、大川端の桜は午前中の早い段階で8、9分咲きだった。さらに先に進んで、お昼少し前の隅田公園はすっかり満開の風情。桜とスカイツリーを背景に写真を撮る家族連れの姿が微笑ましい。満開に向かって行くときの桜には見るからに勢いがあって、見ている自分もその流れに飲み込まれてしまう心地がする。
浅草の立ち食いそば文殊でひと息ついて、それから銀座線に乗って次の目的地である上野公園と不忍池に向かった。夜になれば酒をくらって花に酔い、目に余る大騒ぎになる上野公園だが、昼間はまだ人出は少なく、ハレの日の華やかな賑わいが感じられてとても気持ちが良かった。さて、次の目的地をどこにするかと立ち止まったところで、谷中のことを思い出した。
不忍池から谷中に向かって歩く途中には、谷中霊園という都立霊園がある。付近にある寛永寺と天王寺の墓域も含めて「谷中墓地」とも称され、徳川慶喜や鳩山一郎、横山大観、渋沢栄一などの著名人が眠っている。ご近所にある谷中銀座の賑わいとは対照的に、この霊園は人気が少なく閑静な場所だ。霊園の真中を貫く中央園路の左右には、染井吉野が植えられている。谷中霊園が桜の名所であることは知ってはいたが、どういうワケか、これまで桜の季節には訪ねたことがなかった。
少し距離はあるが「行ってみよう」と心に決めて歩き出した。谷中は、自宅からも職場帰りにも立ち寄りやすい場所にあって、ちょくちょく訪れる場所だ。狭い路地の中に入り込んで道に迷ったり、路地裏のつまらぬモノの写真を撮ったりしてぶらぶらする。谷中銀座と呼ばれる狭い通りには、左右に雑貨屋や食事処が立ち並び、酒屋の前には一杯飲めるスペースが作られていて、地元の人や外国人観光客が並んで、ひっくり返したビールケースに座ってグラスをかたむけている。
いつ訪れてもたくさんの人がいて、他にこれと言って見るべきものがあるわけでもない小さな商店街なのに、不思議で仕方がなかった。ただ、谷中を実際に歩いて見ると、そこに暮らしている人々の息遣いに触れたような気がして、ほっとした気持ちになる。きっと、欲望でギラギラした銀座や秋葉原の賑わいとは質の異なるこうした感覚が、多くの人を惹きつけるのだろう。
谷中霊園の染井吉野はごく普通に満開だった。訪れる人たちの姿も奇を衒うことなく自然体で、騒々しい音楽もなければ、目を引くような派手なライトアップもない。平凡な満開の桜のある光景が目の前に広がっていて、そこに暮らす人たちがあたりまえにその花を楽しんでいる。そんな普通ぽさが谷中の桜らしくて、とても嬉しくなってしまった。
浅草の立ち食いそば文殊でひと息ついて、それから銀座線に乗って次の目的地である上野公園と不忍池に向かった。夜になれば酒をくらって花に酔い、目に余る大騒ぎになる上野公園だが、昼間はまだ人出は少なく、ハレの日の華やかな賑わいが感じられてとても気持ちが良かった。さて、次の目的地をどこにするかと立ち止まったところで、谷中のことを思い出した。
不忍池から谷中に向かって歩く途中には、谷中霊園という都立霊園がある。付近にある寛永寺と天王寺の墓域も含めて「谷中墓地」とも称され、徳川慶喜や鳩山一郎、横山大観、渋沢栄一などの著名人が眠っている。ご近所にある谷中銀座の賑わいとは対照的に、この霊園は人気が少なく閑静な場所だ。霊園の真中を貫く中央園路の左右には、染井吉野が植えられている。谷中霊園が桜の名所であることは知ってはいたが、どういうワケか、これまで桜の季節には訪ねたことがなかった。
少し距離はあるが「行ってみよう」と心に決めて歩き出した。谷中は、自宅からも職場帰りにも立ち寄りやすい場所にあって、ちょくちょく訪れる場所だ。狭い路地の中に入り込んで道に迷ったり、路地裏のつまらぬモノの写真を撮ったりしてぶらぶらする。谷中銀座と呼ばれる狭い通りには、左右に雑貨屋や食事処が立ち並び、酒屋の前には一杯飲めるスペースが作られていて、地元の人や外国人観光客が並んで、ひっくり返したビールケースに座ってグラスをかたむけている。
いつ訪れてもたくさんの人がいて、他にこれと言って見るべきものがあるわけでもない小さな商店街なのに、不思議で仕方がなかった。ただ、谷中を実際に歩いて見ると、そこに暮らしている人々の息遣いに触れたような気がして、ほっとした気持ちになる。きっと、欲望でギラギラした銀座や秋葉原の賑わいとは質の異なるこうした感覚が、多くの人を惹きつけるのだろう。
谷中霊園の染井吉野はごく普通に満開だった。訪れる人たちの姿も奇を衒うことなく自然体で、騒々しい音楽もなければ、目を引くような派手なライトアップもない。平凡な満開の桜のある光景が目の前に広がっていて、そこに暮らす人たちがあたりまえにその花を楽しんでいる。そんな普通ぽさが谷中の桜らしくて、とても嬉しくなってしまった。